安定した会社を辞めて独立すると、「何かやりたいことがあるんだろう」と思われがちです。
私自身、「会社を辞めてやりたいことができていいね」と、言われることも少なくありません。でも正直なところ、明確な「やりたいこと」はないまま会社を辞めていますし、今でもはっきりとそれがあるわけでもありません。
「やりたいことがわからない」「やりたいことを見つけたい」と思う人って、結構多いと思うんです。私も会社員の頃は特にそうだったし、今でもそうです。ただ、「やりたいこと」は、必ずしも最初から「探して見つけるもの」ではないのかもしれません。
やりたいことから始まるとは限らない
嵐が、活動終了しましたね。私はガッツリ世代なので、ラストライブはしっかり配信を見て、感謝と感慨深い思いに浸りました。そんな国民的アイドルの嵐だけど、デビュー当時は事務所を辞めようとしていた人もいたそうです。
他にも、活躍している人の話を聞くと、きっかけは「スカウトされた」「親が応募した」というように、自分の意思とは別で道が開くことは少なくありません。
つまり、本人たちが最初から「これがやりたいことだ」と思っていたわけではない、ということです。
嵐がそれぞれどう考えていたかはもちろん本人たちにしかわかりませんが、どう意識していたかに関わらず、彼らはアイドルの道を歩き続けた。「やりたいか」より先に、「やることになった」の方が近いのかもしれない。多くの幸せをたくさんの人にもたらしてくれた彼らには、そんな風に思わずにはいられないのです。
What より先に How があった
ある先輩は、こんなことを言われてました。
「自分らしく生きてみたいけど、何をしたいかの”What”がわからなかった。でも、こんな風に在りたいという”How”があったから、先にそっちを追求した。追求した結果、今”What”がわかってきたんだ。」
”What”とは、「やりたいこと」のこと。”How”とは、海外を飛び回りながら仕事をする、というのがその1つで、どうすれば海外で移動しながら仕事ができるのかを考えて仕事を作っていらっしゃいました。そしてそれが一息ついたところで、これがやりたかったんだ!と海外と飛び回りながら気づいたことがあったそうです。
この先輩は、「やりたいこと」に辿り着くまでに ”How”を追求してみる、という道のりが必要だったように思えます。
「やることになるもの」を積み上げる
全てが決まっている、と言いたいわけではないし、チャンスをどう活かすかはもちろん本人次第。ただ、「やりたいこと」に至るまでに「やることになるもの」というのが、それぞれにあるのではという気がするのです。
嵐も先輩も、本当にやりたいことをしていくのは、これからなのかもしれません。それは、「やることになった」ものが、実はその先へ進むための通過点だった、ということ。「やりたいこと」だと思っていたけど、それをやっていくうちに「やっぱりこっちがやりたかったんだ」と後から気づく、ということだってある。
だから大切なのって「やりたいこと」を明確にすることより、日々を歩む中で出てくる、「やることになるもの」を積み上げていくことなのかな、と。
一歩踏み出さないと見えてこない
でもそれは、待っているだけで勝手にやってくるものでもないから少し厄介で。
たとえ親が勝手に応募したとしてもオーディションに行ってみる、とにかく海外に行きたいならお金を生む方法を考える、とか、一歩一歩踏み出してみることで開けていくものだからです。小さくてもいいから動いてみる。やってみる。会ってみる。行ってみる。
私の場合は、「会社から出ること」がその一歩でした。こう並んでしまうと霞む話ではありますが、どんな一歩にも優劣なんてありません。私は、会社を辞めると決めてから、ご縁や出来事を地味に泥臭く積み上げて、ようやく「やりたいこと」に近づいているような実感が湧き始めているところです。
私はずっと、「やりたいこと」が明確な人が羨ましいと思っていました。進む方向が決まっていて、迷いが少なく見えたからです。
だけど今は、「やりたいこと」がなくても、それにたどり着くまでに「やることになるもの」があるという考えを持っています。まだまだ私も、やることになったものを積み上げて、やることになるものを受け入れていこうと思います。
もし「やりたいこと」がわからないなら、「やりたいこと」を探すより、その時々で「やることになるもの」に向き合ってみる。その積み重ねの先で、振り返った時に「あぁ、これがやりたかったことなのかもしれない」と気づく。
「やりたいこと」は、探して見つけるものではなく、歩いた先で見えてくるものなのかもしれません。