年々、友人との関係がとても心地よくなっています。
聞いてほしい話を素直に話せるし、相手の話も自然に聞ける。そんな関係でいられることが、とてもありがたいです。何より、楽しい。今は友達との関係で大きく悩むことが、ほとんどなくなりました。
年齢を重ねるごとに人間そうなるものなのかな、と思っていたけど、どうやらそうでもないらしく、何歳になっても友人関係の悩みはあるもののようです。もちろん、私もこれから悩むことも出てくるかもしれません。
友達と楽そうに付き合っている感じがあるのか、意外と聞かれることがあるので、今回は友達との関わり方について、書いてみようと思います。
若いころの友人関係は、周囲をうかがっていた
過去の私の友達との関係は、いつもどこか、落ち着きがなかったです。
グループでのけ者にされないか注意していたし、スクールカーストを気にして相手に合わせた発言をしたりもしていました。誰かが標的になっていると、自分じゃないことに安心してしまうことも。どこかでコソコソ悪口を言われているんじゃないかと、不安もありました。「私たちなんでも話せるよね!」とか言い合って、仲良し確認したりなんかもして。
若い頃は未熟だし、しょうがないとは思います。でもイジメもあったし、若さだけで全部を許せるわけでもありません。私もたくさんひどいことを言ったなぁと、振り返ると申し訳ない気持ちも湧きます。
今思えば、周囲の様子をうかがうことや自分を守ること、不安を解消したくて、結束を確かめようとする行動が多かったです。
自立が転機になった
友達の関係が楽になり始めたのは、家族と離れ、生活で自立できるようになってきてからだと思います。
人間関係には、育ってきた環境も影響します。私の場合は、親の理想と私の在り方が乖離していて、それをうまく自分で表現できず抑え込み、無意識に親の顔色をうかがっていました。それが学校や会社といった組織や、友人関係にも、少なからず影響していたように思います。
親元を離れて自分で生活をすること、親の意向に沿わず自分の意思で進路や仕事を選択すること。こういったことができ始めてから、ようやく周囲を気にしすぎることがなくなり、友達とも力を抜いて関係を築けるようになっていきました。
友達だからこそ、背負わせすぎない
同年代の友達からある日、
「もっと仲良くなりたい!」
「凹んでる時に電話で話せる友達になってほしい!」
と、言われたことがあります。普通に仲はいいと思っていたので驚きました。嬉しいことなのかもしれませんが、私としては、違和感とプレッシャー。ただ私も、過去に「私たちなんでも話せるよね!」とか言って仲良し確認をしていたのだから、気持ちはわからなくもありません。
でも気が合う人って、こんな宣言なくいつの間にか仲良くなっているもの。電話だって、私は苦手だけどピンチにある友達からの電話なら、確認されなくてももちろん出ます。
生活を共にする家族なら、この辺の細かいすり合わせは必要になることはあると思うし、時には自分が譲ることも必要になる。でも友達って、友達関係を続けるために必要以上のすり合わせなんていらないと思うのです。それが、”友達”のいいところでもあります。特に大人になってからの友達は。
ちなみに前述の友達には、「私は頻繁に長電話をするのは苦手」と伝えました。そこから連絡をとる頻度が減ったけど、それもよしです。電話で話せる友達が他にいるならそれもいいし、また話したいタイミングが来たら自然に連絡を取り合えたらいいなと思っています。
友達との関係で大切にしたいこと
損得勘定があるような仕事の付き合いでもなく、家族でもない。繋ぎ止めるようなものもなく対等で、お互いが心地よくいられる関係が、今の私にとっての”友達”。
心地悪さを感じ始めたら離れることもできるし、しばらくしてまた戻ってもいい。少なくとも、友達に合わせて何かを変える必要なんて、お互いないのです。
大前提にあるのは、まずは自分が精神的に自立すること、そしてお互い「無理をしない」こと。その上で絶妙な心地よさにあるのは、「なんでも話せる」の前に、「ほど良い距離感」と「思いやり」だと思っています。
友達って、無理して作るものでも、仲良くなるものでも、続けるものでもない。自己を押し付けすぎもしないし、気を使いすぎることもない、真剣な話もできるし、楽しくも過ごせる。で、去るものは追わない。
そんな無理ない関係が、良い友達関係かなと思っています。
友達だからといって、全部を理解し合わなければいけないわけではない。何でも話せることより、自然に話ができて、無理なく一緒にいられること。
それも、まずは自分自身を大切にできるからこそで、だから相手のことも大切にできる。
お互い自立し、自然体でいられる距離感を持てることが、とても心地いい友達との関係だと思っています。